東京地方裁判所 平成7年(ワ)1556号 判決 1995年12月12日
原告
小磯瀬子
ほか二名
被告
西武運輸株式会社
ほか一名
主文
一 被告西武運輸株式会社は、原告小磯頼子に対し一五四三万六一八六円、原告中村三千代及び原告小磯悦男に対し各五四二万八〇九三円及びこれらに対する平成六年二月一八日から支払済まで民法所定年五分の割合による金員を支払え。
二 被告同和火災海上保険株式会社は、原告小磯頼子に対し一五〇〇万円、原告中村三千代及び原告小磯悦男に対し各五四二万八〇九三円及びこれらに対する平成七年三月一一日から支払済まで民法所定年五分の割合による金員を支払え。
三 原告らのその余の請求を棄却する。
四 訴訟費用は、これを二分し、その一を原告らの負担とし、その余は被告らの負担とする。
五 この判決は、第一、二項に限り仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
一 被告西武運輸株式会社は、原告小磯頼子に対し二二五三万三八一一円、原告中村三千代に対し九四六万六九〇五円、原告小磯悦男に対し九四六万六九〇五円及びこれらに対する平成六年二月一八日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告同和火災海上保険株式会社は、原告小磯頼子に対し一五〇〇万円、原告中村三千代に対し七五〇万円、原告小磯悦男に対し七五〇万円及びこれらに対する平成七年三月一一日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、加害車に衝突されて死亡した歩行者の相続人が、その損害賠償を加害車の保有者(自賠法三条)及びその自賠責保険会社(自賠法一六条)に請求した事案である。
一 争いのない事実
1 事故の発生
日時 平成六年二月一八日午後三時二五分ころ
場所 東京都練馬区田柄四丁目一七番先路上
加害車 普通貨物自動車(練馬四四え五八五七)
運転者 訴外永井明(訴外永井)
結果 加害車が小磯三郎(亡三郎)に衝突し、亡三郎は平成六年二月二〇日午前七時二五分ころ、入院先の日本大学付属板橋病院(板橋病院)で、頭蓋内損傷(頭蓋骨骨折を伴う)により死亡した。
2 被告西武運輸株式会社(被告西武運輸)は、加害車の保有者であり、被告同和火災海上保険株式会社(被告同和火災)は被告西武運輸と加害車について自賠責保険契約を締結していた。
3 被告西武運輸は、亡三郎の治療費として板橋病院に二六五万八七〇〇円を支払つている。
4 亡三郎は、大正七年七月三日生まれで、本件事故当時七五歳であつた。
二 争点
1 被告らの責任
2 過失相殺
(一) 被告ら
亡三郎は、横断歩道を歩行することなく、加害車の進行する交差点中央に向かつて斜め方向から飛び出してきた。訴外永井は急ブレーキをかけ、横断歩道手前で亡三郎と衝突して、停止した。
(二) 原告ら
亡三郎は、見通しのよい直線道路の横断歩道上を、左右の確認をした上で横断を開始したものであり、衝突地点は横断歩道上である。
3 損害(原告らの主張は別紙損害金計算書Ⅰのとおり。)
第三争点に対する判断
一 争点1―被告らの責任
被告西武運輸が加害車の保有者であることは争いがなく、その被用者である訴外永井の運転中に本件事故が発生したものであるところ、自賠法三条の免貴事由について主張立証しないから、同条に基づいて本件事故による損害を賠償する義務がある。
また、被告同和火災が被告西武運輸と加害車について自賠責保険契約を締結していたことも、争いがないから被告同和火災は自賠法一六条による支払義務がある。
二 争点2―過失相殺
1 証拠(甲一ないし三、六、乙一ないし九、証人永井明、原告頼子本人)によると次の事実が認められる。
(一) 本件事故現場付近は、通称「区道豊島園通り」とよばれる片側一車線の見通しのよい、アスフアルト舗装された平坦な直線道路であり、道路の左右には民家が閑散と建ち並ぶ住宅街であり、交通量は多い方である。
本件事故当時には、道路の路肩に若干残雪があつたが、路面は乾燥していた。
(二) 訴外永井は、加害車を運転し、別紙図面の川越街道方面から光が丘公園方面に向けて時速約四〇キロメートルで進行していた。
別紙図面<1>地点で、約四九・七メートル前方に横断歩道のある交差点を認めた。
別紙図面<1>地点から約一九メートル進行した別紙図面<2>地点で、交差点出口の横断歩道の右端近く(別紙図面甲地点)に立つて、左の方へ横断しようとしている老人二人、すなわち亡三郎と原告小磯頼子(原告頼子)を発見した。
訴外永井は、亡三郎が光が丘公園方面を、原告頼子が川越街道方面を見ていることを認めたが、自分が通過したのちに横断するものと思い、別紙図面<3>地点でアクセルには足を置いたまま、速度を時速三十数キロメートルに減速し、遠方に視線を移してそのまま交差点を通過しようとした。
(三) 亡三郎は両手に買い物袋を下げており、交差点の左右を確認して、横断歩道の端付近から道路を北から南に横断しはじめ、原告頼子は五、六歩遅れて歩きだした。
訴外永井は、二人の老人の方は見ずに別紙図面<3>地点から一五メートル進行した別紙図面<4>地点まで進行したところ、亡三郎が九メートル右前方の別紙図面<ア>地点に来ており、急ブレーキをかけたが、別紙図面<4>地点から七・七メートル進行した別紙図面<5>地点(横断歩道の三メートル手前)で、加害車は亡三郎に衝突した。
亡三郎は別紙図面<ウ>地点に跳ね飛ばされ、加害車は横断歩道手前の別紙図面<6>地点に停止した。
2(一) 証人永井の証言中には、別紙図面<3>地点で時速約三〇キロメートルに減速した旨の供述部分があり、乙八、九にはこれに沿う記載がある。
しかし、証拠(乙一)によると、本件事故現場には加害車の左前輪のスリツプ痕が五・二メートル、左後輪のスリツプ痕が六・〇メートルが印象されており、当時路面が乾燥していたことは前記認定のとおりであるから、これらの事実から速度を算出すると時速は三十数キロメートル(ただし、時速三五キロメートルは超えない。)と推定できる(樋口武文「交通事故事件捜査の適正化について」警察学論集二三―四―三四)。
よつて、右供述部分及び各記載は採用することはできない。
(二) 原告頼子の本人尋問の結果中には、衝突時に亡三郎は横断歩道を渡つていた旨の供述部分があり、甲三にはこれに沿う記載がある。
しかし、証拠(乙一、六、証人永井の証言)によると、加害車のスリツプ痕は横断歩道の手前で終わつていること、訴外永井は衝突後、警察官が来るまで加害車を移動していないこと、現場に到着した警察官は停止したままの加害車の停止位置を確認したこと、その位置は横断歩道の手前であつたことの各事実が認められ、右認定事実によると加害車と亡三郎の衝突位置は、加害車の停止位置の更に手前であることは明らかであり、衝突地点は横断歩道の手前三メートルであると認められる。
(三) 原告らは、証人永井の証言を前提にすると、亡三郎は時速一三・九三九キロメートルで走つていたことになり矛盾がある旨主張する。
しかし、亡三郎を最初に発見した別紙図面<2>地点から亡三郎を<ア>地点に発見した別紙図面<4>地点まで、時速三十数キロメートル(時速三二キロメートルであれば秒速八・九メートル)で約二〇メートル進行しており、その所要時間は約二・二五秒である。そして、別紙図面甲地点から別紙図面<ア>地点まで約四・五メートルであるから、亡三郎の歩行速度は時速約七・二キロメートルと推定することができる。
もつとも、老人の歩行速度は三・五キロメートル毎時といわれているが、証拠(甲一三、乙七、原告頼子本人)によると、本件事故現場の横断歩道を渡るときには、交通量が多いため足早に渡りきるようにしていたこと、亡三郎は足腰がしつかりして歩くのが早かつたことが認められ、亡三郎の歩行速度が時速約七・二キロメートルと推定されることに不自然さはない。
3 右認定のとおり、訴外永井は、進路右方に横断しようとしている亡三郎を見かけ、減速したもののなお制限速度を数キロメートル毎時程度上回る速度で進行し、しかも、左方へ横断しようとしている亡三郎を認めたにもかかわらず、安易に自車の通過後横断するものと軽信し、その動静に注意を払うことなく進行したため、亡三郎が横断を開始したことに気づかず、進行方向右手九メートル先に亡三郎を発見し急制動の措置を講じたものの、本件交差点内の亡三郎に衝突して死亡させたものである。
これに対し、亡三郎は横断歩道を渡らず、交差点の中を足早に渡ろうとして本件事故に遭つたもので、亡三郎の過失も否定できない。
なお、過失相殺の判断にあたつて、横断歩道上とは、横断歩道の一、二メートル程度外側も含むものと考えることも可能であり、本件事故は横断歩道上の事故であるとの原告らの主張が、その趣旨と解せないものではないが、本件事故の場合、その衝突地点は横断歩道の三メートル外側の交差点内であり、本件事故を横断歩道上の事故と評価することはできない。
これらの事実に、亡三郎が七五歳の老人であつたことを考慮すると、二〇パーセントの過失相殺は止むを得ないものと認められ、原告らについても被害者側の過失として斟酌するのが相当である。
三 争点3―損害(別紙損害金計算書Ⅱ記載のとおり。)
1 治療費
亡三郎の治療費が、二六五万八七〇〇円であることは争いがない。
2 入院雑費
原告ら主張の入院雑費未払分についてはこれを認めるに足る証拠はないが、証拠(乙七、一〇)によると亡三郎は、本件事故後板橋病院に三日間入院したことが認められ、その雑費として一日一五〇〇円を認めるのが相当であり、その額は四五〇〇円となる。
3 葬儀費用
証拠(乙七、弁論の全趣旨)によると、原告頼子が亡三郎の葬儀を行つたことが認められ、本件事故と因果関係のある葬儀費用は、一二〇万円が相当である。
4 逸失利益
(一) 前記争いのない事実に、証拠(甲三ないし五、乙七、原告頼子本人)を総合すると、亡三郎は、大正七年七月三日生まれで本件事故当時七五歳であつたこと、年齢の影響による前立腺肥大の治療のため二か月に一回通院していたが、他に持病はなく、健康な方であつたこと、亡三郎は本件事故当時には東京手描友禅の工程の糊画(糸目糊置)の仕事に携わつていたこと、その仕事は仕事部屋に座つて行うもので、体力は必要ではないこと、仕事時間は月曜日から土曜日まで、毎日午前九時から午後九時か午後九時三〇分ころまでであつたこと、亡三郎は視力や足腰はしつかりしていたこと、その仕事のほか展示会などの出品によつて一か月に約三〇万円の収入があつたことの各事実が認められる。
右事実によると、亡三郎は、年間三六〇万円の収入があり、七五歳男子の平均余命は、平成五年簡易生命表によると九・七四年であるところ、その二分の一である今後五年間は就業可能であつたものであり、右収入から生活費として四〇パーセントを控除し、五年のライプニツツ係数四・三二九を乗じて中間利息を控除すると、その額は、九三五万〇六四〇円となる。
3,600,000×(1-0.4)×4.329=9,350,640
5 慰謝料
(一) 亡三郎
本件事故の態様、事故後死亡までの期間、亡三郎の年齢など本件記録に顕れた諸般の事情を総合考慮するとその精神的苦痛を慰謝するには一〇〇〇万円が相当である。
(二) 原告ら
証拠(甲七ないし一二)によると、原告頼子は亡三郎の妻、原告三千代及び原告小磯悦男はその子であることが認められるところ、原告らの精神的苦痛を慰謝するには、原告頼子について七〇〇万円、その余の原告らについて各一五〇万円を認めるのが相当である。
6 小計及び過失相殺(別紙損害金計算書Ⅱ(a)、(b))
亡三郎の損害について右1、2、4、5(一)の合計は、二二〇一万三八四〇円となり、前記認定のとおり二〇パーセントの過失相殺をすると一七六一万一〇七二円となる。
原告頼子の損害について3、5(二)の合計は、八二〇万円となり、前記認定のとおり二〇パーセントの過失相殺をすると六五六万円となり、その余の原告について慰謝料一五〇万円につき二〇パーセントの過失相殺をすると一二〇万円となる。
7 填捕(別紙損害金計算書Ⅱ(c))
被告西武運輸が治療費として二六五万八七〇〇円を支払つたことは争いがなく、これを亡三郎の損害から控除すると一四九五万二三七二円となる。
8 相続(別紙損害金計算書Ⅱ(d))
亡三郎の損害について、妻である原告頼子はその四分の二を、子であるその余の原告らは各四分の一をそれぞれ相統したもので、その額は原告頼子が七四七万六一八六円、その余の原告らが各三七三万八〇九三円となる。
9 小計(別紙損害金計算書Ⅱ(e))
これらを合計すると原告頼子につき一四〇三万六一八六円、その余の原告らにつき各四九三万八〇九三円となる。
10 弁護士費用(別紙損害金計算書Ⅱ(f))
原告らが本件訴訟の提起、遂行を原告ら代理人に委任したことは当裁判所に顕著であるところ、本件事案の内容、審理経緯及び認容額等の諸事情に鑑み、原告らの本件訴訟遂行に要した弁護士費用は、原告頼子に一四〇万円を、その余の原告らに各四九万円を認めるのが相当である。
11 合計
原告頼子につき一五四三万六一八六円、その余の原告らにつき各五四二万八〇九三円となる。
四 以上によると、原告らの請求は、被告西武運輸に対し、原告頼子につき、一五四三万六一八六円原告三千代及び原告悦男につき各五四二万八〇九三円及びこれらに対する本件事故日である平成六年二月一八日から支払済まで民法所定年五分の割合による損害金の支払を求め、被告同和火災に対し、原告頼子につき一五〇〇万円、原告三千代及び原告悦男につき各五四二万八〇九三円及びこれらに対する本件訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな平成七年三月一一日から支払済まで民法所定年五分の割合による損害金の支払を求める限度で理由があるから認容し、その余の請求は理由がないから棄却する。
(裁判官 竹内純一)
事件番号7―1556
当事者 小磯ほか2名VS西武運輸・同和火災
損害金計算書Ⅰ
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事件番号7―1556
当事者 小磯ほか2名VS西武運輸・同和火災
損害金計算書Ⅱ
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現場見取図
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